江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。この場合、節切月日の大晦日にあたる。本項目では、立春の前日の節分、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークである。
一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる
最近は妙に「恵方巻」を推しているのを目にするようになった。
恵方巻は、そもそもは関西の風習。その年の幸福をつかさどる歳徳神のいる方角=恵方を向いて、心に願いごとを思い浮かべながら、ひたすら無言で太巻き1本を丸かじりするというもの。今年は「西南西」の方角を向くと良いのだそうだ。
とはいえ、なぜ節分に太巻きを丸かじりしなくてはならないのだろうか。とくに女性ならば、「食べにくいから切り分けたい」と思う人もいるのでは?
そこで、恵方巻が「太巻き丸かじり」になった、驚きの起源をご紹介しよう。
恵方巻の誕生は、江戸時代末期。元々、大阪・船場の商人が、商売繁盛、無病息災、家内安全を願った行事が始まりなのだとか。
船場の花街、当時の「風俗街」では、節分になると遊女たちに巻寿司を丸かじりさせることが流行。商人たちは、太巻き寿司を男性のアソコに見立て、女たちがそれにかぶりつくさまを楽しんだ。
恵方巻のルーツは、そんなセクハライベント。「巻き寿司を切らず一本丸ごと食べるのは『縁を切らない』という意味が込められている」などともっともらしいことが言われるが、その頃は、遊女がぶっとい太巻きを頬張る姿を男たちがいやらしい顔で眺めていた行事に過ぎなかった。
しかし、不思議なことに「節分に遊女が太巻を丸かじりすると縁起が良い」と言われるようになり、願いごとが叶うというウワサが流布したのは事実。次第に、大阪から関西圏へと広がっていった。
とはいえ、男性のアレが発祥のイベントがすぐに一般家庭で行われるわけもなく、流行は関西の花街のみに限られていた。状況が変わり始めたのは、1932年のこと。
大阪鮓商組合が、2月という比較的ヒマな時期に寿司を販売しようという思惑から「巻寿司と福の神 節分の日に丸かぶり」と題したチラシを配って恵方巻を宣伝。平賀源内が、鰻が売れない夏の時期に「土用丑の日」をつかってPRに成功したのに似ている。
こうして、徐々に恵方巻は大衆化。そして、1998年にセブンイレブンが「丸かぶり寿司 恵方巻」という商品を発売すると、全国のスーパーやコンビニ、デパートも追随。関西の花街で生まれたエロ行事が、子供たちまで巻き込んだ世間一般のものとなっていった。
なんだかな~~~
明日は、立春。 出雲大社の「立春大吉」のお札を新しいものに替えなければ・・・。
まずは、豆まき~
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